本稿では、広島の地域の特徴、またこの都市が出来た過程について述べ、考察する。
広島市は、街中・繁華街が全て、太田川の下流にある三角州(デルタ)にあたるという点で、珍しい都市であるという。また、平和都市として広く知られ、広島カープ、お好み焼き、カキも有名であるようだ。
では、この都市はどのようにして出来たのであろうか。白神社には、大きな岩がある。この岩はここが海であった証拠であり、ここを境に、430年前に南側には海が広がっていたという。毛利氏がここに広島城を建設、城下町を整備した。
そして、江戸時代には遠浅の海を利用し、干拓によって土地を広げたようだ。この干拓によって出来た土地は畑となり、広島藩に大きな利益をもたらしたという。また、漁村の前の海岸線は、干拓堤防を曲げることによって港を残した。
次は、川に注目してみよう。広島では、川が水運のルートとして重宝されたようだ。また<雁木>[1]が多く作られたようである。三角州には木々が生え、鳥が停まるなど自然が残されている。また、汽水域が多いため、シジミが取れるそうである。
また広島では、かつて水運が盛んであり、商業が盛んであった。原爆ドームも、かつてはこの商業地帯の中にあった。原爆ドームがあるところは以前幕府の米蔵であり、これは広島市産業奨励館として建てられた。しかし、原爆投下後、0からの復興を余儀なくされることとなる。
広島では、路面電車が普及している。これは何故であろうか。三角州は地盤が弱いため地下鉄は作りにくい反面、土地が平らなため電車は走りやすいようである。路面電車の651号は、被爆したが整備されて今も使用され、広島のシンボルとなっているという。
このように、三角州の中にある地域であるが故に水運によって産業が発展し、自然も残され、復興のシンボルとしての路面電車も出来た。この土地に太田川があり、その下流に三角州が出来たことは偶然かもしれない。しかしここに広島という都市が出来たのは偶然ではないのであって、そこには人々の営みが関連している。時には干拓によって人為的に土地を開発することもあった。また、予期せず原爆によって、復興を余儀なくされたこともある。干拓の際に漁村の港を残したことも、この土地に合った路面電車が作られ復興後街のシンボルとなったことも、この地域に住みこの地域に適合するべくして、人々が選択し行動した結果ではなかろうか。
[1] 「道から川原などにおりるための、棒などを埋めて作った階段。また、船着き場の階段。桟橋(さんばし)の階段。」
