現代は<無縁社会>と言われ、近所付き合い、あるいは周囲との付き合いが希薄となってきている。そのことは、子育てにおいても同様ではなかろうか。本稿では、江戸時代の子育てについて触れ、現代における子供や子育ての問題・課題について指摘する。
まずは、江戸時代の<乳>というものと関連して、子育てのネットワークについて言及しよう。江戸時代は<乳縁社会>と呼ばれ、乳がよく出る人とそうでない人が乳を貰ったり与えたりということが行われていたりする社会であったという。それに対して現代は、乳は人前に晒すものではないという規範があるし、<よその子>に乳を与えるということは普通考えられないであろう。今日ではショッピングセンターには授乳室が完備されているように、授乳は基本的に人目を避けて行われる。さらに、乳が出ないのであれば粉ミルクを使用することもできるし、子育ての方法も本やインターネットで調べることが出来る。あるいはスマートフォンであれば子育てアプリも使用可能である(ただし、このようなアプリケーションを使って子供をあやす場合等には、子供の人格形成への悪影響が指摘されることもある)。つまり、現代では子育ては一人あるいは家族の中で行うことが、困難であっても不可能ではないのである。そのため、近所との繋がり、ネットワークは希薄になりやすいと考えられるのである。
外部との繋がりが希薄であるということも、場合によっては問題視されるべきことであろう。しかし家族・親族内での協力を得ることも難しい、孤独ともいえる子育てであれば、さらに事態は厳しい。例えば、近年ではいわゆる<イクメン>、すなわち特に父親からの協力を推し進めようとする動きが見られる。しかしながら、父親、すなわち夫のいないシングルマザー等の人々ではどうであろうか。祖父母と同居している世帯や、近所付き合いの多いコミュニティーの中にある世帯であれば話は別であるかもしれない。しかし、頼れる存在の少ない、未婚や離婚後の女性も多く存在しているということを忘れてはならない。
例えば、赤ちゃんポスト(正式名称「こうのとりのゆりかご」)に預けられた子供たちの母親の母親たちの半数以上は未婚および離婚後であり、年齢層も10代から20代の非常に若い者が多いという。やはり、学生や若い年齢で妊娠した場合であれば、なかなか育てることは難しいと考えられる。場合によっては自分で育てるのではなく、若い祖母や家族、親戚等に預けることにもなろう。そうかといって堕胎・中絶というのも母体にとって決して良いものとは言えないであろうし、また当事者の心に傷を残すことも十分に考えられる。苦渋の選択として、彼女たちは子を預けたのではないかとも考えられる。
ここで、子を育てるのは母、すなわち女性である、あるいは母でなければならないという日本におけるジェンダーの問題も指摘しておかなければならない。たとえば、離婚した際に親権を取るのは8割程度が女性である。無論、法律や民法上で女性が親権を取るべきであると規定している訳ではないが、やはり日本に根付いた固定観念が見受けられる。そして離婚後は、父親は養育費を入れることもあるが、育てるのはやはり母であるケースが多いのではなかろうか。
以上のように、江戸時代のような子育てのネットワークは現代において希薄となってきている。さらには、子育てや妊娠の責任を負うのは女性であることが多いのではなかろうか。やはり現代の母親は、子育てに何らかの点で困ったとき、頼ることが出来にくいのではなかろうか。子供の生命を守り育てることは確かに重要な役目と言えよう。しかしその責任や負担が、母親だけに大きく伸し掛かるということは大きな問題である。
さらには、妊娠の責任についても女性が負うことが多いのではなかろうか。例えば、学生で妊娠した場合、退学するのは大抵女子である。これもまた、問題である。
これらの問題を解消するためには、制度だけでなく、人々の意識を変えていくことが必要である。そのためには、教育も重要であるし、あるいは自らジェンダーの問題について学んでいく姿勢も必要であると言えよう。また、近所でのネットワークを強化していくことも、重要な点ではなかろうか。
