江戸時代の文書を読む。「志州鳥羽舟外国江吹流候一件」より

史料購読Ⅱ

二〇一七年 十一月二十四日

 

[書下し文]

風味よく御座候酒を日に、三滴ずつ出し申候。

扨又米壱石[1]六斗[2]、銭酒三条の役所より出し

申候。日本の寛永通宝[3]六拾五の銭余程相見へ申候。夜大キ

成桶湯を入毎日〱私共を入れ申候。此所に

廿日居申候。其内毎日〱殿方と覚しき人

その奥様とはずやう成女中代りし私共

を見に出相成候。何れも笑申候故、遣使仕候

女中方ハ参りて呉申され候。私共地壱人

とも給べ申候。日本とはちがひ申候。別して…

 

[解読文]風味のよい酒を日に三滴出していた。

そうして米を一石六斗(=二五六キログラム)銭で酒を三条の役所から出した。

日本の寛永通宝で六五銭余りになった。夜大きな

桶に湯を入れて、毎日毎日私たちを入れた。ここに

二十日居た。そのうち殿方と思われる人、

その奥様として女中のような代わりをして、私たちを

見に出てきた。どちらも笑っていたので、仕えている

女中たちが来てくれた。私達のうち一人が

飲んだ。日本とは違ったものである。別れて…

 

[明らかになったこと]

  • 湯を使える環境にあった
  • 二〇日滞在した
  • 日本と違った酒

 

 

寛永通宝

 

参考文献 赤尾文夫、二〇〇〇『日本史辞典』旺文社

 

参考サイト 「ウィキペディア

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E9%80%9A%E5%AE%9D

 

[1] 一石=一六〇キログラム

[2] 一斗=一六キログラム

[3]江戸初期まで、中世以来の永楽銭その他雑多な銭貨が流通していたので、幕府は一八三六(寛永一三)年に寛永通宝を鋳造発行し、永楽銭その他の使用を禁じ銭貨の統一をはかった。以後各地の銀座で鋳造され、江戸時代の最も日常的貨幣として流通した。

 

[書下し文]

白さやを附候。羽織鳴[1]とられ申候。希とられ申候。

前の国福州にて経入物織呉申候。南計[2]のて

廿五日暮し、大晦日し夜にて不ㇾ残、日本の日■の

やらにて見てとりも参りふ申候。殊の外豊成国と

相見へ申候。家ニ鳴物[3]て馬岐し申候。烏の様成■■

又冬田[4]何くに候にて経を法申候。座し御座候五二四町

のるち家こに■盛岐居申候。少領[5]見て愛いそし

零申候。扨又大晦日の夜私共を宿にいさ日本へ

参り候。原人拾五人布人代り〱参候いて■盛然

 

[解読文] 白いさやを付けた。羽織鳴をとられた。希をとられた。

前の国福州では、経本の入れ物を織ってくれた。南計で

二十五日暮らして大晦日の夜に■残り、日本の■の

やらにて見てとりも参りふ申候。思いの外豊かな国に

見えた。家で楽器を演奏した。烏のような鳥が

また冬の荒れた田のどこかにいるので経を誦んだ。座っている五二四町

のるち★こに■盛岐居た。■■見て愛零う。

さて大晦日の夜、私共を宿に残し、さあ日本へと

行った。原人十五人が布人代り代りに来て盛り、然   

 

参考文献

  新村出 編、一九九八『広辞苑岩波書店

 

 [語句解説]

[1]

[2]

[3] 楽器。また、その演奏。

[4] 冬の荒れた田。稲を刈り取ったあとそのままにしてある冬の田。

[5]

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